おまえきけ

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英雄「ユウナ」を考えたい

また全ファイナルファンタジー大投票絡みの話です

FF大投票においてもっとも人気があるシリーズ作品に選ばれたのはファイナルファンタジー10でした。自分も一番好きな作品なんですがこれが意外すぎて。自分の周りにもFF10が一番好きってやつは浮かんで一人か二人、自分の学生時代だとどちらかというとFFファンの評判は悪くて、同世代の人気も7から9に集中している印象でした。なので7-9-10-8とかの順だと思っていて。なんなら1位を飾るのはFF3じゃないか?と思ってました(※FF14の過去作オマージュはダントツで3と5と6が多く、この辺が歴代プレイヤーの人気どころだと思っていた)。
その上キャラクター部門2位が我らが大召喚士ユウナ様ですよ。意外すぎ〜!!!!これも同じ理由で自分の周りではヒロイン・ユウナの評判っていまいちよくない。見た目肯定派(可愛いみたいな)と中身否定派(野村FFの守られヒロイン嫌い)に分断してる印象だったので。えっ2位?!って深夜にクソデッケー声で叫んでしまった。

ユウナのヒロイン像というのは確かに今の20代後半から30代ぐらいの女性には響かないかもしれない。おしとやかで、いかにも女性的で、世間知らずに見えて、ドナに言わせれば「ゾロゾロとガードを引き連れてみっともない」。男性トラブルに逢い、チームを巻き込んでしまう。8のリノア、9のダガーもそうですが、どうしても調子が悪い時・印象が良くない時の感想が勝ってしまいがち(リノアなんかは今見ると、いくらスコールがイケメンとはいえあんな態度取られ続けて構ってくれるフォロワー貴重だなって思ってしまう)。あと普通に性癖もからんでややこしいので、スピラという世界に登場する「英雄」としてのユウナを改めて綴りたいと思います。

改めてFF10の物語をおさらいしておきます。もうかなり前の作品なので言うのもアレですが、最初からネタバレぶっ飛ばしていきます。

物語の舞台「スピラ」では「シン」と呼ばれるでけークジラみたいな怪物が文明やあらゆる命を奪って回っています。「シン」はスピラにおける原罪の象徴。「機械で楽しまくった人間への罰、その罪が償われればシンは消える」と宗教では語られます。そして召喚士が修行を積み最果ての地ザナルカンドで得る秘技「究極召喚」でのみシンを討つことができる。究極召喚を使った召喚士は究極召喚に耐えきれず必ず死んでしまう。
ただこのシンをぶっ倒した時点で人の罪が償いきれてないと、いくらかの時間(ナギ節といわれ、だいたい5年程度)をおいてまた「シン」は復活をしてしまう。なぜなら「シン」は人に罪を償わせるための存在であるため。
……というのが全てのスピラの民が知っているスピラと「シン」の事情です。ユウナの父親は「シン」を討ちひとときのナギ節を産んだ大召喚士・ブラスカ。ユウナは父親の背中をおって召喚士となるのですが、さっきも言った通りその道を歩めば確実に死ぬと言うのをよく知った上で彼女は旅に出ます。ユウナを送り出す人々、「ユウナ様のナギ節楽しみにしてますよ」とかいうババアも知ってます。すげえ世界だよ。知らないのは異世界からきたティーダだけです。
ティーダがもともといた異世界とはなにか?それはまあ、ありえん簡単にいえば「シン」の中です。主人公ティーダは最初こそは自覚がないですが、最初から最後まで、それこそ肉体の隅々にいたるまですべて「シン」関係者なんですね〜。これ解説するにはもう一個記事がいるので勘弁してください。

最終的にユウナは様々な条件に恵まれ、本人は死なず、シンは完全に消失するという、一番いい手段を彼らは見つけ、そして選ぶことができます。ただそれは頭の先からつま先まで「シン」の関係者であるティーダの消失を意味していた。

これがFF10までのお話です。

 

ユウナという人間

ユウナがどういう人なのか、というのはどちらかというとFF10-2で深く触れられますが、FF10でもシーモアに言い寄られる+シーモアの親殺しの件を知ってしまうところで片鱗が見えます。思うに「目の前にある問題に自分が関与することで解決する可能性が1%でもあった場合、関与せざるを得ない」。しかも結構せっかちでもある。車で出かけたいけどお酒飲めなくなるしねってしてるときに鍵持ってダッシュで駐車場にいくようなタイプ。ムフェトジーヴァではタゲをとってくれるし、FF14ではやりたいジョブより不足ロールをやってくれる。どうしよっか〜ってグダグダしてるときに自分の鶴の一言で解決する、って状況が続くのが耐え難いので声を発してしまう。そういうタイプなんじゃないかなと。
これをFF10では「周りに流されやすい」と自己認識していて、FF10-2でも人から「お人好し」「そんなんじゃ人に利用される」といわれる。実際シンを倒した後のビサイドでは色々あったようですから、「もう人に利用されるような女にならない!!強く、そして自由に生きるんだ!!!」と決心しますが、結局「あっこれ自分がやったら早いことをやらないでいるのストレスだな〜」と気づいて吹っ切れる過程が10-2では描かれます。上司とかにはあんまり向かないタイプですね。それこそシーモアの一件の時のように勝手に抱え込んで爆発する可能性は常に秘めています。

シーモアの時も

  • 自分とシーモアの結婚がスピラに与える影響を考えてしまった(自分が結婚しないことによって次の明るいニュースが何になるかわからないというストレス)
  • シーモアの父親殺しをちゃんと告白してもらい裁かれてほしかった。そのためにできる自分の行動ならしたいと思った(この時彼女の中でそのカードは結婚だった)

これらに加えて

  • 召喚士一行のリーダーとしてしっかりチームを引っ張っていかなければならないという気負い(道中細かい目的地の確認や目的意識の確認は割とユウナが率先してやっている=本人の中ではガードに守られて後ろを付いて行ってるのではなく、自分が旅を引っ張って行っている意識)
  • やろうと思ったことをすぐやらないと割と気が済まないタイプ(ティーダに指笛をしてくれたら飛んでくと言われてすぐできるようになってる→すぐに死ぬほど練習してる)

が重なった結果あの雷平原のど真ん中で結婚することを宣言する、グアド側に捕らわれる、シーモアに利用されかけるわストーカーされるわ、の事態を引き起こしてしまった。ユウナの性格やしたいことは、どうしても一人の少女の体には身に余る内容だったのでしょう。

10-2でユウナはリーダーをアニキにやってもらうこと(後半では実質ユウナがリーダーにさせられてましたが、ユウナにとって「リーダー命令に従うッス」といえる心理的な負担の軽さは大きかったと思う)、人助けに対価をもらうことなど、色々なクッションを経て助けを乞う人に「呆れた」「こんなところで遊ぶのが悪い」って思いつつも助ける、という所まで進化します。イケメン……。

ユウナは主体性がなく流されやすいと作中で他のキャラクターからも言われがちですが、どちらかといえば能動性の鬼で、じっとしていられない犬っころのようなキャラなんだなと感じます。

マカラーニャ湖で真実を知ったティーダは逃避行を提案します。自分の故郷を探し、そこで遊ぼうと。ユウナは一度は提案に乗り夢物語を膨らませますが、「できないよ、できないんだよ」と泣く。「お前の故郷など本当はない」「そんな後ろ指刺されるような行為できない」ともとれますが、その後のセリフでそのどちらでもないことがわかります。やろうとしたことを途中で投げ出して逃げてしまったらどこで何をしていても(それがちらついて)きっとつらいと。シンがまた多くの人を殺している。あの時自分が諦めていなければ。シンを他の人が討って、その人が死んでしまった。あの時自分がちゃんと究極召喚を得ていれば……。ユウナにはそれを無視できる図太さがない。それを受け入れてまで生きていけない。できない。彼女はそこでそう吐露します(そういう意味ではこの分野におけるイサールの強さはすごい)。

この性格が「だれかがシンを倒せば5年は安心して暮らせる」という命と引き換えにしては少々不毛すぎるように感じるシン討伐に彼女を駆り立てたのでしょう。しかもナギ節が終わってすぐです。そのせっかちさが結局のところはいい結果を産みました(シンを消滅させるという意味においては)

ユウナの心の強さの種類

先ほども言った通りユウナは旅の最初からその果てに死が待っていることを最初からかなり明確に認識しています。仲間たちだけがそれを認められず、何度か旅を止めようとしますが、やめよっかなといったのは散々色々あったあとの上記のマカラーニャ湖での時だけで、他は頑なに旅は続けますと言って聞きません(結局マカラーニャ湖のことが決定打となって以降ユウナに迷いはほぼありません)。ただユウナの面白いところは決して「死にに行っている」訳ではないことです。

旅の果てユウナは今までエボンの教えとして常識だと思っていたことをむちゃくちゃに覆されます。自分の命だけでなくガード一人の命も必要であること。そこまでしても今のやり方では絶対にシンは完全に消失しないこと。そもそもFF10の世界では、たとえ肉体が滅びても思いが強いと幽霊(死人)として生きながらえられる(パンピーは成仏したり魔物になる)ため、エボン寺院の上層部といういわゆるエリートはみんな「ま、死んでも死人になってりゃそのまま生きてるみたいなもんだしな」ぐらいに思っていて、民衆ほどシンに対しての危機感はない訳です。エボンのためスピラのためとおもい、その果てに死があってもいいと思っていたユウナにはちょっとつらすぎる話です。その上でザナルカンドという最果ての地は様々なものをユウナにぶつけてきます

それはガードの命が必要なら自分の命を使ってもいいと言ってきたルールーとワッカだったり
ザナルカンドに焼き付いている過去の召喚士たちの勇姿だったり
父親の想いまでも否定してくる原初の大召喚士ユウナレスカだったり

心がギリギリになって全てを現実として受け入れそうになったときにユウナはここで行動原理を思い出すことができます。「父親が好きだ」「だから父親ができなかったことを自分の手で叶えたい」「父親はまやかしの希望なんて望んでない」「まやかしの希望なんていらない」

もちろんシーモアの一件があっての成長、この前に流されちゃダメだと決心して行っているからこそ出せる答えですが、「究極召喚をしたあとの死」を望んでいるなら絶対に出てこないセリフです。死を厭わなければザナルカンドまでたどり着けないし、死を厭わなければこのセリフは出てこない。この絶妙なメンタリティで旅を続けていたと思うと、ユウナの心の強さの質が見えます。

英雄としてのユウナ

斯くしてユウナはシンを滅ぼし、永遠のナギ節を呼び、リビングレジェンドとしてスピラに降臨します。「召喚士としての責務」がそのまま「大召喚士(=英雄)の責務」にすり替わったユウナは何度かその立場を自覚させられたり、あるいは自覚して行う行動が多いです。たとえばFF10の終盤や10-2の中盤でも「大召喚士ユウナ」として演説してます。冒険者からたたき上げで英雄になったFF11FF14冒険者とは違い、ユウナは(変な話)最初から人々にとって英雄だし、利用したい相手であり、すがる相手なわけですが、それらへの扱いを決める物語がFF10-2とも言えます。

ユウナはティーダに似た人物の映ったスフィアの謎を解明しあわよくばティーダと再開したい。そんな淡い恋心でスフィアハントをしていたのに中盤でがっつり政治が絡んできてしまいます。世では「ユウナ様を迎えた我々こそが官軍だ」みたいな空気になってしまいます。最悪。

ユウナは最初は流石に困りますが、最終的にはそんなアホどもと面と向き合うことを選びます。それが早いので。ユウナがウジウジ悩んでいるのは何をしたらいいかわからない、ではなく、自分が関与していいのかどうかと、関与した結果成功したのかどうか、であることがよくわかります。アルベドが調子のって強くした機械も壊してあげます。そうするのが早いので……。

そのように生きると決めたユウナにはやはり風評という問題が付きまとって仕方がないのでしょうが、前述した通りアニキがカモメ団のリーダーをすることや、青年同盟・エボン党・マキナ派の合同記者会見みたいなやつに行かないなどを選択することによってうまく回避してます。お助け屋カモメ団は人を助ける行為で金品をまきあげており、ユウナがリーダーを勤めていると「大召喚士ユウナ様は人を助けるのにお金をお取りになられる」と思われかねないですが、アニキが主催するカモメ団に属していることで「あそこにお金を払えばユウナ様に助けてもらえる」の構図にギリすり替えてるといえるでしょう。デリヘルとDMで金額飛ばしたらヤらせてくれる人の違いみたいになってるけど。

ユウナは2周目が味わい深いFF10を象徴するようなヒロイン

FF10は最初から提示される情報がゲームを進めていくたびに少しずつ、しかも大掛かりに覆されていくため、プレイヤーもキャラクターもそれに翻弄されがちで1周目はユウナの心の機微にまでははっきり言って気が回りません。全ての事実を知った上でやる2周目が味わい深いように、もう一度やると「ユウナかなり最初からティーダのこと好きだし好きアピしてるのにティーダがガン無視でわろてしまうな……」とかなりますね。

というわけでHD版よりPS2版のほうが可愛いからおすすめしにくかったけどこの際もうこっちでしかできないのでHD版をやってくれよろしくな!

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