おまえきけ

140文字で足りないときに連投してリムられないための場所

FF14のレイド攻略環境ほんとよくなったねって話

をするとクソ老害感がすごいのでせっかくまとめたけどロドストとかに載せられないしここに載せよう。

言っておくけど俺は絶対に緑数字はおろかFHSのないIIDXとかやりたくないから別に今のやつはいいなみたいな記事ではないんだ!!!!昔の俺が思ったより実績を残してなくてもこの辺りを加味していい感じに優しくしてくれないかなって気持ちはあるけど。

4.0のことも書いてたらえらいことになりそうだからやめたよ(すでに6000文字近くある) 

◆蒼天からの変更点

・断章システムの実装

アレキサンダーから、その週の初回クリア時に確定で装備と交換できるトークンが配られるようになりました。バハムートは現物ドロップなので、これは革命的と言わざるを得ませんよね。
ワールド1stを狙うような組は全身新式で臨むのであまり関係ないと言われてますが、それでも装備の揃え易さが攻略難易度に深く関わるのは言うまでもないです。

・週に何度も通えるように

報酬がもらえるのは「その週の初回クリアのみ」ですが、行くだけなら何度でもできるようになりました。バハムートの時はPT内にクリアフラグを持った人がいると突入ができませんでした。

・ノーマルと零式の2つに分けて実装

バハムート侵攻4層の零式は、パッチ4.1でくるとされる「仮称:5層」と同様の立ち位置で、より高いILの装備をファームできる場所ではありませんでした。
アレキサンダーからストーリーを読むのはノーマル、高難易度レイドとして楽しむ・高IL装備ビルドのための零式ときっぱり立場が分かれました。

◆起動編

起動編零式はとにかく「ワールドファーストレベル」の固定・レイドチームに向けてのみ作られたコンテンツで(吉Pも「いかにその層を足止めするかを考えていた」)、とにかく要求DPSが高い・ギミックがいちいち1つ多くてしつこい・敵の火力が高いとかなり散々でした。4層は火力のためにギミックを無視するのが主流で、これが不健全だと思ったのかそもそも気に食わなかったのか、律動以降はギミックを無視するとかなり大きなペナルティを課すギミックが増えます。
かなりたくさんの固定が崩壊させられたときいています。僕の周囲のベテラン勢もほとんど零式攻略には疲れたといった様子でした。
この要求DPSの高さから、タンクにも硬さより火力が求められるようになり、ナイトは徐々に零式から活躍の場を奪われていきます。またジョブ間のシナジーが重要視され、それがないジョブは軽視されるようになります。機工士は「詩人より忙しいのに詩人より出ない」「シナジーも微妙」といわれてました。丁度今(4.0)の機工士みたいなかんじ。
占星術士の調整がグズグズなので、興味がある人はここ(http://la2log.com/?p=2867)とかで見るといいです。当時は普通にやってても敵視をもいでしまうぐらい敵視を稼ぐジョブだったようです。占の調整は今後3.4まで続きます。

・パッチ3.1

>「パーティリスト」「フォーカスターゲット」「敵対リスト」に表示される対象をターゲットできない場合、名前がグレーアウトするようになります。

当時ヒーラーメインだったのでこれは何気に大きかったです。起動編はフィールドが広かったですしね。

>視認性向上のため、範囲攻撃の予兆表現が調整されます。

かなりにじんだオレンジ範囲だったのが、今のようなくっきりとしたわかりやすいものに変わりました。
僕はこれめっちゃ嬉しかったんですけど、14ちゃん同期に言ったらそんなに?っていわれた。


◆律動編

起動編の反省を踏まえて律動編は「要求DPSを(起動編より)低く」した……のですが、一方で「ヒーラーに殴らせるのか」という批判に抗うかのように敵側の火力を上げ、「ギミック無視が主流」を抗うかのように、ギミックを無視・ミスしたときのペナルティが大きくなります。律動編は全編通してその傾向が強く、3層に至っては死亡者が出ると敵側の火力があがりクリア不可能というギミックを通しでやらされます。だいたい2人死ぬとクリア不可能といわれていました。そのため律動は「とにかく練習させてもらえない」という印象でした。要求ヒール量の大きさは特にセフィロトで喘いだヒーラーも多いんじゃないでしょうか。
律動編実装とともに機工士にかなり大きな修正が入り一気に詩人を追い抜き、「まだ詩人やってるの?」とかいわれてたような記憶が……あります。これも3.3にかなり大掛かりな調整が詩人にはいったため肩を並べられるように(それでも他のDPSに与えるシナジーが機工のほうが大きかった)。ナイトにも一気に修正がはいり、かなり戦えるようになったような気がします。律動は特に「無敵技」か「上手くやれば20秒死なない技」なのかがMT選択のトリガーとなっていたような気がしますね。自分の固定のMTもころころ着替えていました。
またアニマウェポンが実装されたことも、レイド攻略の敷居を下げたきっかけのひとつだとおもいます

・パッチ3.2

>TANKロールにおける物理攻撃力の算出方法が変更されます。

これまでは(現在のパッチ4.0と同じく)STRで算出されていたのをVIT+STRで算出するように変更されました。これまでのタンクは火力のためにSTR装備のためにVIT装備を禁断した新式指輪とかを装備している人が多く、HPがむちゃくちゃ低かったんですよね。またレベリング中のタンクも、フルVIT装備だと敵視が取りにくい、フルSTR装備だとヒーラーに怒られる……とかなり散々でした。それが解消されます。

>以下のパラメータに関連するマテリアは禁断のマテリア装着に使用できなくなります。
>STR/DEX/VIT/INT/MND/PIE

メインステータスを禁断できなくなりました。

>禁断のマテリア装着に失敗した場合、同じ条件ですぐに再装着するかを選択できるようになります。
>マテリア装着時のモーション、および待ち時間が調整されます。

かなり禁断しやすくなりました。これ個人的にすごく大きいことだと思います。それまでは禁断に失敗するとハァ〜というモーションを毎回して、さらに装備を選らんで、マテリアを選んで、なので膨大な時間がかかってました。
この落胆モーションをスキップするために木人をターゲットしてAAがはいるようにしておいて、マテリア装着失敗後すぐに木人に当たり散らすことで時短するといかいう小技があったほどです。

>ホットバー/クロスホットバーに関して、以下の追加/変更が行われます。
>視認性向上のため、クールダウン表示の表現が調整されます。
>アクションやアイテムのリキャスト残り時間が表示できるようになります。

リキャスト時間はアクション詳細から確認してました(今でもできる)

>オートアタック実行中を示すマークが、ターゲット情報にも表示されるようになります。

オートアタックが入っている時は入っているターゲットの頭の上のマーカーの挙動が変わるのですが、それをターゲット情報(HPとかが見えてるところ)にも追加したということです。

>機工城アレキサンダー零式:律動編2において、難易度緩和のために以下の調整が行われます。

自分がやってきた中では唯一の「型落ち前の難易度調整」です。実装からおおよそ一ヶ月半でした。
当時はかなり多くの人が2層で躓いてる印象でしたね。

>≪ブラスター≫
>「ステルス地雷散布」によるステルス地雷の設置数が引き下げられます。
2つありました(今は1つ)。STが地雷処理してすぐ差し込みヒールをして2つ目にいってもらう!がなくなりました。

>≪ブロウラー≫
>パワープラズマβによる「ウルトラパワープラズマ」のダメージが緩和されます。
HP全開でも軽減がないと死ぬぐらいの勢いだった気がします。2割ぐらいカットされてると思う。

当時丁度二体目を攻略してる時に緩和が来たので、3〜4体目については書きようがないのが残念。

・パッチ3.3

>蘇生確認のメッセージウィンドウにおいて、「断る」ボタンの実行に一定時間の長押しが必要になるよう変更されます。

これまでは冗談抜きで間違えて断ってしまうパターンがむちゃくちゃ多かったんですよ、本当に。

>レイドダンジョンに挑む際、同一データセンター内でのパーティマッチングが行えるシステム「レイドファインダー」が実装されます。

はい、ついにレイドファインダーの登場です。これまではずっとサーバー内で8人PTを組まないといけなかったのです。もちろん、サーバー間PT募集はまだありません。みんな過密サーバーに引っ越すわけですね。
私個人はずっと固定で攻略してるので、主な仕様用途は固定メンバーに欠席が出た時の補充だったのですが、やはりないより全然マシって感じでした。ただ当時は3層で詰まってるひとがすごく多かったこと、2層に「ドム」「エリュ」という(4体目の)やり方の違う攻略法がどちらも同じぐらい流行していたため、正直天動編や今ほど気楽ではなかった気がします。また、3層は露骨に近接2、レンジ1、キャス1での編成を前提としたギミックでしたが、レイドファインダーでは一枠ワイルドになってしまうため、そこのすり合わせで時間を浪費してしまうことも少なくありませんでした。
ちなみにレイドファインダーの実装前は、突入場所のあるフィールドに全員集合してないと突入できなかったため、アレキの突入地点の前はレイダー憩いの場になってましたが(懐かしい)レイドファインダーの実装とともにその必要はなくなりました。

>以下のレシピにおける完成個数が変更されます。

「以下のってなんぞや」って感じだと思うんですが、ズバリ「食事と薬品」の完成個数が3に引き上げられました。それまでは1食ずつしか作れなかった。単純にレイド攻略に不可欠な消耗品にかかるお金や手間が1/3になりました。

◆天動編

律動編よりさらに要求DPSを下げ、さらにランダム要素をほぼなくしたギミック構成になりました。起動・律動は正直「ランダムギミックの引きの良し悪しで難易度が激変する」というのを一生やらされてたんですが、天動ではランダム要素と言えば正直4層の罰がなにつくか程度だったので、コンテンツの完成度の高さを感じる内容になっていたと思います。律動3層とかフェーズがどっちが先にくるかさえランダムでしたからね。頭沸いてますね。
3.5の後半で週制限も解除されたので、このころから零式に行くようになった人も多いと思います。
ただ天動編はヒーラーのヒールワークの難易度のみでいうと、起動律動と大きく変わることのない内容だったように思います。タンクの入れる軽減スキルもより重要視されるようになり、魔法攻撃に弱い点やインビンとリビデでは無敵時間が違うという点から4層は「ナイトお断り」とまで言われ、INTダウン効果のあるデリリアムブレードを上書きしてしまう双竜脚をつけたモンクがタイムゲートに入ってしまうと最悪のタイミングでINダウンが切れるという理由からモンクも募集等で除外されるようになりました。
また3.4、3.5はまさにレンジ最強時代であり、タイムアタック編成もキャスをいれずに詩も機もいれるというのが流行っていたほどで、間接的に詩人のDPSを上げることができる竜騎士が重宝され、PT貢献度の高い忍者が時点ではいるという状況がかなり長く続きました。
そしてついに占のカードやノクタにかなり大掛かりなテコ入れがはいり、「戦えるようになった」と言われました。しかしこうなると今度は白魔導士のアドバンテージが薄くなり、占学が流行るように。……とても個人的なことをいうなら、命中を盛って殴ることは白にもできたしダメージ量は白のほうが多いのに、その全てを学者に押し付けてきた白側の報いですね。天動編の時も、占がカードを撒くより白学が本気で殴るほうがPTDPSは高いとは言われてました。
ちなみにパッチ3.4〜3.5は3.4の際にジョブ調整を行ったのみで、それ以降はほぼvPの修正のみです。かなり長いナギ節でしたね。

・パッチ3.4

>以下のリミットブレイクの効果が調整されます。
>戦闘不能のプレイヤーには、衰弱を付与せずに蘇生する効果を発揮します。衰弱中のプレイヤーには、

衰弱の効果時間をリセットして蘇生する効果を発揮します。
ヒラLB3で叩き起こしても衰弱が付いていたのがなくなりました。この効果は主にソフィアで猛威を振るったように思います。

>ターゲットが範囲内に存在する場合、プレイヤーの向きにかかわらずオートアタックが実行されるようになります。

敵に対して正面を向いていないとAAが入らない仕様が変わりました。近接DPSがむちゃくちゃやりやすくなりました。
当時さほど近接を真面目にやっていたわけではないのですが、やはりAA漏れがDPS格差を生むかなり大きな要素になっていたようです。私も今でも癖で敵の正面を向きながら方向指定を取ろうとして奇妙な動きになります。

>討伐・討滅戦/レイドダンジョンでの全滅時にアクションの再使用時間がリセットされるようになります。

これが個人的に天動編の踏破を早めた最大にして最高の要素だと思います。今まではインビンのために5分待ったりしていたのがなくなりました。
弊害はまあなくはなかったんだろうなと自分でも思いますけども、基本的にはむちゃくちゃ便利になったとおもいます。

>レイドファインダーの対象コンテンツが変更されます。

実は3.4まで極蛮神はレイドファインダーには入ってませんでした。レイドじゃないからね。

>パーティ募集に関して、平均アイテムレベルが設定されているコンテンツでも、平均アイテムレベル未満で募集できるようになります。

これ小さいことなんですけど、それでも当時は「IL足りない人はtellください」とかいってました。天動3〜4層の必要平均ILが高かったことが修正の要因だとおもわれます。

>戦闘開始カウント機能が追加されます。

マクロで用意しないといけないカウント機能が公式の機能として追加されました。

・パッチ3.5

>パーティ募集機能が拡張され、ワールドの垣根を超えてパーティ募集/参加ができるようになります。

本当にもうこれのおかげといっても過言ではないですよね色々と。
プライベート機能もあり純粋に「任意の他鯖のプレイヤーとPTが組める」ので、サーバー間固定というものも誕生しました。

FINAL FANTASY XIV FAN FESTIVAL 2016–2017の会場で先行体験を行っていた「プロトアルテマ戦」が実装されます。

事実上のアクセ緩和がきました。プロトアルテマが来るまでは零式に行かないとアクセが全箇所最高ILにならなかったのですが、それが一時ですが解消されました。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みました。

僕の学生時代は村上春樹の作品と共にあった。図書館に行けば彼の本を借りてきて読み、読み終わればまた彼の本を借りてきて読んだ。僕の地元の図書館の隣にはミスタードーナツがあり(そもそも、図書館がデパートの一部のように寄り添っていた)、天気がよければデパートの屋上(そしてそれは図書館の屋上でもある)で買ってきたドーナツを食べながら読んだ。当時の僕がそう思って行動していたのだから、そうなのだと今でも思っているが、なかなか洒落た学生だ。いや、あまりにも影響を受けやすい学生だったとも言えるが。中学の時には、図書委員の権限を使って学校の図書館に村上春樹全集を収蔵させた。村上春樹は当時から確実に売れっ子作家であったが、今ほどの風潮はなかったはずだ。図書委員の指導を勤めていた英語教師は、僕が村上春樹全集を図書室におきましょうといったのをたいそう喜んでいたのを憶えている。また僕の高校生時代は彼のおかげで「本をよく読む文学に親しみのある学生」のふりができた。国語教師は現代小説の話になると喜び勇んで僕を指名した。

2009年に「1Q84」が発売された時、僕はまだ高校生だったはずだ。乗換駅の構内にある本屋でハードカバーのそれを買い、さも大事なお守りであるかのように通学鞄の中に忍ばせ続けた。ただ僕はそれを読まなかった。今でも、50ページほど読んでほったらかしてしまっている。1Q84という作品がつまらなかったわけではなくむしろ真逆で、この時期の僕は活字の持つ魅力に恐れをなしていた。つまり、本を開けば、平気で何時間も読みふけってしまうことを、可能な限り自制することに努めた。十代のこの時、僕は確実に生き急いでいた。そしてそのまま、「1Q84」は、二度の引越しを経てもなお、僕の自宅の本棚に眠り続けている。

「多崎つくる」も、全く同じだった。村上春樹の新作が出ると聞いて、義務的に購入した。そして義務的に10ページほど読んで、やめた。その頃にはもう僕には読書をする習慣が全くなかった。活字に対する渇望は、インターネットで垂れ流されている文学性のかけらもない文字列たちで満たしていた。

「多崎つくる」を読もうと思ったきっかけは、「騎士団長殺し」だ。新作が出た。買ったまま読んでいない本から先に手をつけよう。「多崎つくる」のほうが「1Q84」より短い。積みゲーを消化するようなものだった。

僕が村上春樹の作品に惹かれている理由は最初に「海辺のカフカ」を読んだ時から一貫して変わらない。そこに描かれている世界は「あってもいい」と思える世界だから。「やみくろ」も「ホシノくん」も、あるいは「計算士」という職業に対しても、この現実の日本に実在しててもいいじゃないかと、そう思わせるのが彼の作品の魅力だと思っている。よく彼の作品の主人公は、決まってガールフレンドがいたり(あとすぐ寝る)昼飯にスパゲティをゆでてそれを理由に電話をいやがったり、紀伊国屋で野菜を買ったり、弁護士の小間使いだったり、翻訳の仕事をしていたり、あるいは「計算士」であったりするため、しばしば「共感性に欠ける」などと批判されるのをよく見る(つまり簡単に言えば読者との生活水準の差が眼に余るという話だ)が、構わないじゃないかと。この考えは僕が「ハルキスト」であるなによりの証明かもしれない。しかし日本は1億を超える人口を抱えていて、僕は実際住んでいるマンションの隣の人が一体誰なのかさえ知らない。翻訳者かもしれないし、計算士かもしれない。当然だ。そして僕が時々利用する京都市営地下鉄にも「やみくろ」は実在しているかもしれない。それくらい「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」が好きとも言えるが。
僕は彼の作品がそう思わせる最大の要因は、彼の文才にあると思っていた。僕は彼の作品を読んでいる時は頭の中に映画のような鮮明な映像を思い描くことができたし、むしろそれを楽しんでいた。彼の作品が面白いとか、面白くないとか、そういうことはあまり関係なく、彼の文章が僕の脳みそにそう働きかけてきてくれることになによりも興奮していた。
高校生の頃文芸部に所属していた。特に主だった活動のない気楽な部活だったが、文化際に出す部誌に出す作品は読み合わせが行われた。僕は村上春樹の文体を真似た作品を出していた。「まるで実際に見てきたかのようなリアリティがある」と褒められた。絵の仕事を選ばず、文章の仕事を選べと言われたことさえある。なので僕は、村上春樹の作品の魅力はそこにあるのだとおもっていた。だからこそ、僕のような人間でも頭の中に一本の鮮明な映画を作ることができるのかもしれないと。
長らくその考えは揺るがなかったのだが、「多崎つくる」を読んで少し考えが変わった。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は非常にシンプルな作品だ。今からあらすじを書くが、はっきり言ってそのあらすじだけで作品の1/4を消化してしまうことになる。
多崎つくるは名古屋の高校生だった頃、かなり親密にしていた男女の5人グループに属していた。彼らの関係は完璧だったが、多崎つくるが東京の大学に出てしばらく、理由もなくグループからの追放が行われた。彼はそれにひどく傷つき、一旦は死の淵まで追いやられる。彼には追放の理由がわからず、他の四人を恨みさえする。その理由は30代になった今もわからない。わからないままにしておこうと思う。しかし彼のガールフレンドは「いや、あかんでそんなん。本人らに訊いてこいや。ええな」という。

多崎つくるにはコンプレックスがあった。それは、名前に色を持ち、それぞれが個性的に輝いている他の4人に比べ、自分には「圧倒的に何もない」ということだった。多崎つくるは、その完璧な関係を抱えているグループ内においても、いわば「仲良くしてもらえる理由」を自分の中に見出せなかった。それでも仲良くしてくれるんだしいいんじゃないか、と思っていたら、突然追放されたのだ。

この感覚はものすごく普遍的なものじゃないかと思う。自分には魅力がない、他人に好いてもらえる理由がない。目の前の今仲良くしてくれている人物は、たまたま自分が心地の良い止まり木のようなもので、いずれは去ってしまうかもしれない。これは、人間関係に困難を抱いたことのある人間ならば、きっと誰にでも心当たりのある感覚だと思う。いや、そうだと信じたいのだと思う。僕にはその心当たりしかない。

多崎つくるの家はお金持ちである。我々読者は俯瞰的な視点を持ちがちなので、「実家が金持ちでお金に困らないくせになんだよ」と思いがちだが、これはむしろ多崎つくるのもつコンプレックスにノイズを加えないためだと思う。つまり我々は、仮に多崎つくるがあまり経済的に恵まれていない場合、そこに理由を求めてしまうということだ。しかし違う。多崎つくるの抱えていた悩みはあくまでも普遍的なものだ。誰でもかかる風邪のように。

普遍的な悩みを抱えていた多崎つくるは、我々が現実世界ではなかなか実行できない(一般的には、実行するとよくないとされている)「過去のことを掘り返して、聞きにいく」という指令を受け、そして実行する。ここからはわかりやすい小説のカタルシスが続く。多崎つくるは彼が思っているほど平凡な人間じゃなかったし、無個性でもなかった。ある意味、多崎つくるが「自分はあまりにも何もない」と強く感じている個性のせいで、幾つかの関係を失ってさえいる。色を持つ他のメンバーと同じく、多崎つくるもそれなりに個性的な人生を歩んでいる。そして、一方的に恨んでいた他のメンバーにもそれぞれ多崎つくるが「死の淵を彷徨った」のと同程度と言えるような闇を抱えている。そういうことを皆が丁寧に教えてくれる。やさしい世界。現実ではそうはいくまい。ツイッターに「昔の友人に会ったけど自分だけ苦労してるみたいな顔されてクソだった」と書かれるのがオチである。でもこれは小説である。そして、この世界のどこかには、そういう懇切丁寧に説明してくれる大人がいてもいいかもしれないと思う。そして恐ろしいことに、この小説にも村上春樹特有の恐ろしい「悪」が登場する。そしてその「悪」も残念ながらこの世界に確実に存在する。多崎つくるがそれを直視しなければならなかったように、我々もいずれこのことについて直視しなければならない。

村上春樹の作品に対していただいていた、「いてもいいじゃないだろうか」と思う気持ちは、描写力ではなく、その「普遍的な悩み」なのだろうと、多崎つくるを読んで思った。陳腐な表現をすれば、大島さんが抱いている悩みも、すみれとミュウの抱いていた悩みも、そして多崎つくるの抱いていた悩みも、それぞれがそれぞれに特徴的な境遇があり彩られ気付きにくいが、根本にある悩みは我々の抱いている悩みとあまり遠くないんじゃないだろうかと。これは昔から言われているように(もしかしたら本人が言っていたかもしれない)、学生運動を筆頭とする全体化主義から個人主義に移りゆく過渡期に生きる我々ならば、誰でも罹り得る風邪である。それが僕が村上春樹作品や、その登場人物たちに抱く、「そんな人がいてもいい」といわしめる理由なのだろう。そしてこの集合的無意識ともいえる「普遍的悩み」は、我々にも手軽なカタルシスをあたえてくれる。そして、この世に「悪」が実在する事実と、それに立ち向かったかのような気持ちをくれる。

しかし、正確に言えば、この作品はそれを意図的に、明確に、バカの僕でもわかりやすく指し示してくれているのだと思う。死ぬほど鈍感な多崎つくる氏に対してだけではなく。カービィ64のエンディングのようなものだ。ハッピーエンドに終わったかに見えても味方キャラクターだったやつが邪悪ににやりと笑う。子供でもわかる。「これで終わりじゃないし、何かある」。「多崎つくる」も全く同じである。

そういう意味でとても面白い作品だった。「何か」についてはもう一度読んでもよかったのだけど、まとまっているサイトがあったため、短絡的な現代人である僕はそれを読んだ。ここに書いてあることがすとんと腑に落ちたのは、僕がこの手の文章を信じやすい性格ではないことを祈りたいばかりだ。
またこの小説を「リアリズム小説」を突き詰めた一つの結果だとし、このページの言葉を借りるとするなら、我々が読んでいて「まあどうせなんかオカルティックなやつやろ」と思いたくなるその現象さえも「リアリズム」の一端であると考えることができるようにおもう。そしてその「オカルティックなやつ」も、ハルキストの僕に言わせれば現実に存在していい要素のひとつである。オカルティックな場合もあるし、そうじゃない場合もある。今回はそうじゃない場合だった。

というわけで、個人的に村上春樹の作品の魅力を簡単に説明するにはうってつけの小説だなあ、と思った。村上春樹はマジで死ぬほど個人主義社会の悩みを書くのが上手いな〜〜!!!というその感心だけで4500文字を書かせる男であることに改めて驚く。まあこんな文章ちっとも意味がないかもしれないが。

 

さてこっから下は邪なタイプの感想です。これを書くために真面目な感想文を4500文字も書いてしまった。いいですか。全国の腐女子は「多崎つくる」を読みなさい。いいですね。そして、我々が推しカプに対して普遍的に抱いてるテーマを村上春樹が書いたという事実と、その文章に震えてください。いいですね。これを読んで「普遍的なテーマ??」とおもった人は、僕とBL観が違うだけだとおもいます。

こっからはもはや本を読む必要がないレベルでネタバレを書くわよ〜〜〜!!!(実際は村上春樹が書いたその文章が一番大事なので読む必要はある)

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FF14の世界観

FF14併設SNSロードストーンを読むのが結構好きでコミュニティウォール(平たく言えば新着記事一覧)をよく覗くのだけど、この頃はゲーム内でロールプレイ中表記ができるようになったからかRP設定(僕らで言う所の自キャラ設定)をロドストの記事で公開してる人も増えてきた。

そのどれもがかなりFF14という世界の設定にかなり深く踏み込んでキャラ設定されていて非常に感心する。特に設定として公開されてはいるが詳細は明かされていない、特に氏名等に関わる部族設定にまで踏み込んでいる人は大変だろう……。が、僕もいろいろ考えたりはしていた(ゲーム内でRPする予定はなくいわゆる「うちの子」)し考えるのは好きだから書く。久々に140文字で収まらないのに連投してリムられないためのブログです!!

エオルゼア世界のハーフについて

エレゼンとヒューランのハーフ「ヒルダ」の登場は、衝撃的でした。特に「多種族だったら子も設けないしズッコンバ……」などと考えてた僕はびっくりです。「できるやんけ……」ってね。
いわゆるファンタジー世界に置ける「亜人」をどのポジションに位置付けるか、これは非常に重大な問題だと思います。犬のように多数種類があり、その中の一つがヒューランであり、ミコッテだというのなら「ハーフ」もわかるんですが、トラとライオンぐらいの親戚だという認識だと話は別です。僕としてはどちらかというと後者のイメージでした。

ゲーム上の都合もあると思いますが、そんなことはとりあえず置いといて、ゲーム内で判別している内容を挙げようかと思います。

・現在ゲーム内で登場するハーフはまだヒルダ一名
・ヒルダはかなりヒューランに近い見かけで、エレゼンの特徴を継いでいるのは耳だけ
・種族を超えた恋愛、という概念はある(ワンダラーパレスのクエストに出てくるゲイカップルが「種族も性別も超えた」といっているので)
・当然だがララフェルカップルから唐突にヒューランの娘が生まれてくることはない(事件屋クエ)

以上のことから

・ハーフはエオルゼア内でも相当珍しいのではないだろうか。ただしハーフという概念がある程度の珍しさではあると推測。イシュガルドの貴族はかなり貧民達にお手つきしているらしい上、体感ではあるがヒューラン娘に手を出していたという供述が多い。そうなると霧雲街にもっとヒューランとエレゼンのハーフが溢れててもいいような(それそれで、メッチャグロいけど。)
・エレゼンの遺伝子は基本的に劣性遺伝、ヒューランの遺伝子は基本的に優勢遺伝ということになる(ただしヒルダがエレゼンと同様の長命等を引き継いでいるかは謎)
・異種族カップルどころか、種族内部族が異なる結婚もかなり珍しい様子(僕が思いつく限りでもゲロルト・ロウェナのみ)

その上で人名の命名ルール:エレゼン偏では

エレゼンの名前には、ヒューランに近い名前も存在しています。
これを証拠として、「エレゼンとヒューランは元々、同じ種族だった」との仮説を主張する歴史学者がいます。ただし、ヒューランの学者がそのような仮説を言い張ったところで、誇り高きエレゼンたちが同意するはずもありません。彼らは「ヒューラン・エレゼン同根説」を完全に否定することでしょう。

 と書かれています。(ちなみにここで「ヒューランと近いエレゼンの名前」としてあげられている「ヒルダ」が彼女には与えられてます。お、オカン!)

結論から言うと、「ハーフ」ができるのは種族的同根であるエレゼン・ヒューラン間に限られるんじゃないかと。それもあまり「確率」は高くないようだ(むしろそれを踏まえてくらいじゃないと、誇り高きエレゼンがヒューランを妾にする理由とは…ともおもったり)。
もしミコッテ・ヒューラン間にもミコッテ寄りの赤ちゃんができるなら、メスッテ共はわざわざ少ないオスッテにすがる必要もないし、それくらいの発想は何百年という間に培われ、なんなら混血が進んでてもいいくらいだと思う。が、実際そんなことはないため、実際遺伝子を残す上での不都合があると考えて間違いないと思う。
ララミコの混血とか夢ではあるが……。個人的には「無理」っていう結論ですね。その方がイイナー。

またヒルダの容姿にヒューランの姿が色濃く出ている・歴史の舞台に出てきたのは最初はエレゼン、のちにヒューランという所からも、エレゼン・ヒューランの元種族はどちらかというとエレゼンで、ヒューラン族側は様々な土地に対応する体躯を身につける過程で、長命等の特徴をそぎ落とす方向で進化してきたのだろうか、と推察。部族で見かけががらっと変わるのもそれだけ環境に適応しているということだし、それが優勢遺伝として前にでるのかなーなんて。

アウラ・ゼラの謎

アウラ・ゼラには構成員のすべてが女性で、子作りは他部族の男性との間で行い、生まれた子が男性だった場合は一年以内に手放す「ポラーク族」、そのポラーク族の捨て子を拾う「イリク族」、構成員のすべてが男性で人口を増やす方法は他部族との戦いと誘拐という鬼畜民族「ブドゥガ族」がいる。

人名の命名ルール:アウラ編

アウラ・ゼラの中でも屈指の謎部族だと思われる。ポラーク族とイリク族が地理的に近いことぐらいしかわからない。

ますブドゥガ族、こいつらは非常にわかりやすい。おそらく「女」あるいは「性行為」を完全に否定している宗教観か何かがあると考えられるからだ。他部族との戦いというのも、つまりは他部族への武略的侵攻の上の吸収と考えられる。どっかに行って女を連れ去ってきて犯して産ませる、ではないのが面白いところ。
あるいは彼らが根城にしている場所が「血」を嫌う土地という可能性もある。日本にも山が女人禁制だったりした時代もあったが、これは神の住まうと言われていた山に「血」を持ち込まない為だったと言われている。出産や月経など、女性にはどうしても「血」が付きまとう、とそういうわけらしい。
もしかしたらブドゥガとポラークは土地的に遠い場所に住んでいるのかもしれないとおもっていたが、部族での「価値観」がそういったところにある場合は、ポラークとブドゥガは交流さえしないのかもしれない。

ポラーク族の行動理念は謎だ。生活基盤に男がいるとよろしくない、という考えなのかもしれないが、その割には他部族に「出稼ぎ」に向かって子を成す。ここからはブドゥガ族のような性嫌悪や異性を排除する考えが見受けられない。ただ自分の子であっても男子なら捨てるのだ。謎すぎる…!
部族の掟として伝わる「伝承」があり、それに対する現実的解決策がよそで男を作り、子を成し、赤ん坊が男子なら1歳になるまえに捨てる(1歳になるまでは神の子みたいなのがあるのかもしれない)、という風習に至った……くらいか?

そのポラーク族の捨て子を拾う、という設定以外が付随されていないイリク族に至ってはもっっっっと謎だ。そして僕はイリク族なのだ。大変こまった。
イリク族側のメリットはいくらでも思いつくのだが、問題は「イリク族はポラーク族を認識しているか」つまり、「捨て子はポラーク族の子である」という認識があるか、だ。
イリク族がポラーク族を認識してる場合、「わざわざ捨てるのを待たなくて引き取りにいけばいいのでは……?」ってぶっちゃけ思う。逆にイリク族がポラーク族を認識していない場合「気にならないのか…????」とも思う。なぜならイリク族の男女比は「ポラークの男子を拾ってくるからやや男が多い」なので、イリク族は族内でちゃんと子孫を作っていると考えられ、「赤ん坊はキャベツ畑からくるんだよ」で族内の認識が統一されてるとは考え難いからだ。難しい。どちらのパターンでも考えてみる。
まずイリク族がポラーク族を認識しているのにわざわざ捨てられるのを待ってる場合、これはポラーク族が部族としては閉鎖的・あるいは秘密主義的な体制をとっていて部族単位での関わり合いをそもそも絶っている可能性が考えられるなと。なぜならポラーク族は外で男を作ってその男を連れ帰らず子供だけ自分の部族に連れ帰る必要がある。ポラークとしての生活をひた隠しにしている可能性はある。
次にイリク族がポラーク族を認識できていない場合、これもポラークが主体とはなるが、そもそもイリク族とポラーク族はさほどご近所さんではなく、ポラークが子捨ての「風習」として山越え等を行っている可能性が考えられる。つまりイリク族的には「この先に人里などないはずなのに、なぜここに子供が」である。捨てる場所等が決まっている可能性があり、これがなんらかの伝承(ポラークとイリクでは異なる伝承が語り継がれてる等)に由来するものとも推察できる。
個人的に推したいのは後者だ。場所に紐付かれた伝承(端的に言えばそこで見つかる子は精霊の子であるためわが身を痛めて産んだ子と同等に接するべきみたいな)、捨て子を連れ帰ったことに紐づく英雄譚(鶴の恩返しが伝承として伝わってるから部族のみんなはめっちゃ鶴を助けたがるみたいな)等に由来しているとよし。
イリク族側のぶっちゃけたメリットはやはり遺伝子の多様化だろう。それもこれもポラークがどこともしれない男と寝てくれるおかげだし、そもそも捨て子は完全によその子だ。イリク族は部族内で近親婚を繰り返しているんじゃないかと思う。(捨て子を拾っている以上それが宗教的観念とは考え難いが、まあダブスタもあるのでわからない。土地的な問題かもしれない。)その上で遺伝子欠陥を抑制するよその子である「ポラークの捨て子」は、イリク族の重要なトリガーとなる。そのために「捨て子」「自分の部族ではない子」を大事にすべきという教訓や伝承が作られるのはおかしくない。
俯瞰的に見れば「ポラークの捨て子はどこにいくのか」が「イリク族」なだけで、イリク族の連中は「捨て子だったらだれでも拾う」んじゃなかろうかと思う。それこそツノなしでも。

そんなわけで僕の中のイリクは「何かしら捨て子を拾ったことのメリットを示す英雄譚等が語り継がれている」を動機に「捨て子なら誰でも拾う(あるいは特定の場所に捨てられてる子なら種族を問わず拾う)」、「なんらかの理由で他部族との交流が少ない」ため「部族内結婚を繰り返している」部族です。なおこの設定はアウラ・ゼラのイリーレちゃんの設定にはほぼ関与してません!! 男の子が多い環境で分け隔てなく育てられたからあんまりおしとやか系じゃない、ぐらいですわ。

絵を描かない人は、どの程度を速筆と感じるか?

 

っていうのを、ツイッターの投票機能を使ってやってみました。マジで興味本位だったので文言がめちゃくちゃなんですけど、漠然とカラーイラストを想像してもらって、まあだいたいこんなもんでしょ、って思って欲しかったんですね。

当初は、「ワンドロ」なんかの影響で、絵なんて1時間ぐらいでサクっと終わるもんじゃないの〜?って思われてんじゃないか、と思ってたんですけどなかなか興味深い結果が出ました。

アンケート結果の感想

  • 全体の2割はやはり「ワンドロ」や、一部の超人に感化された感性をお持ちでいらっしゃるっぽい
    人の筆の速さはまちまちでも、1時間未満でカラーイラストが仕上げられるイラストレーターは基本的に「化け物」です。仕事絵じゃなくても、見れる絵を1時間で作るのはやはりめちゃくちゃ難しいと思います。特異技術ですね(画学生、および美術受験を検討した方々は、”いつ見せても大丈夫なようにぼんやり完成させていく”を訓練させられた人も多いのではないでしょうかw)

  • 「ワンドロそのものがタイムアタック的な要素が見受けられるのはわかるので、普通に描いて早いなら数時間程度かな」というひとが5割以上にのぼる?
    ワンドロが無理に早く書いてるのがわかるから数時間ぐらい?というひとも何人か見かけました。3つ目の選択肢は、5時間未満としたのは、僕自身がめちゃくちゃ調子がいいと5時間ぐらいでイラスト仕上げちゃうからです。2つ目は、まあなんとなくのイメージ。
    参考までに申し上げますと、デザイン系の実技試験時間は2〜4時間ぐらいが多かった気がします。当然なんだけど、ちゃんと対策していかないとキツいです。

  • 実際イラストを製作しているひとが近い・実際イラストを描くひとにイラストを頼むひとは「期間」で提示する
    これは全く想定してませんでした。アンケートとしては実作業時間の気持ちだったし、「絵を依頼するひと」が出てくるのが完全に想定の範囲外でした。普段依頼を受けないからっすね。
    より本格的な依頼(動画制作等)をするひとは「一週間」、そうでなく気軽に描いてもらうひとは「描き始めてから一日」という印象でした。
    私も、誰かに頼まれて絵を仕上げるにあたって一週間で仕上げちゃったら、張り切っちゃったなって思いますね。

  • 「サイズとか描き込みとかを指定してくれないと想像できない!」っていうひとの多さ
    これ、「いや、そういうのはまあ適当に設定してさ、話してくれていいよ、そんなマジなんじゃないんだから、もっと無邪気にさ」って思ったんですけど、これが一番無邪気な意見では???と思い出しました。
    やはり画風によってこれは時間がかかってそう、これはかかってなさそう、みたいのがあるんでしょうか(僕もないことはないけど)。
    描いてる身としては「なに?私の描くベクターイラストと、他の人が描く厚塗りのイラストを区別しようっていうのか、アンタは??」ってちょっとだけ思いました。
    サイズに感じては、アナログなら深刻な問題でしょうが、デジタルならそうでもないですね。描きやすいサイズで描いちゃうし。

  • みんな絵好きだな
    なに、5万投票って?僕より絵のことすきでしょみんな。

じゃあ結局どれぐらいなら早いねんっていうはなし

すぎやまこういち大先生はおっしゃられました、「ドラクエのメンインテーマは5分で作ったけど、僕の54年間のつみかさねがなし得たことだから、制作時間は5分+54年である」と…

とまで大げさには言いませんが、基本的には絵を描いている人間のスタンスややり方にもよると思うし早いとか遅いとかはないとはおもいます。
あくまでも「絵を描かない人間は、どれぐらいで絵が出来上がると考えてるのか」の指標として「早いとおもう時間を教えてください」という質問の仕方にしました。
絵描きに対して言うならば…「作業時間の短さより、とっかかりの速さが大事なのよ…」って…思いますよね…(6月の時点でネームが仕上がってた漫画のペン入れをまだしながら)

あなたがひとに絵を頼むときは、最低1ヶ月ぐらい見てあげたほうがいいと思いますね。忙しいひとならそれでも無理かも。

あとこれ僕だけもしれないんですけど、ワンドロとかも1/4から1/2ぐらいは鉛筆線状態の下書きの状態なので、スケブとかも当然30分とかであがるとあんまり考えてあげないほうがいいかもしれないですね。

 

ここからは余談で〜〜〜〜す

 

ツイッターの投票機能を使って思ったこと

  • めちゃくちゃリプライでの回答がくる
    ツイッター公式クライアント以外ではそもそも投票機能を使ってるよみたいなことが出ないので当たり前といえば当たり前だが、基本的に引きこもってるので不特定多数の人間からリプライが来ることにやや疲れました。なんか「ツイッターの投票機能つかっとるけどこのクライアントではでえへんで」みたいなのでませんかね?それでもリプは来ると思うけどな。

  • 質問読んでない奴多すぎ
    絵描きが答えるパターン。質問読んで。
    アート関係を取り出して年単位だの半月だのいいだすパターン。質問読んで。
    なにかとてもありがたいことを言ってくれているような気がするけど、具体的なものは一切なく一般論にも届かないひと。質問を読んで。
    そもそも絵の価値は時間とかじゃなくない?とかいうひと。質問を読んで。
    一つ一つに「質問文を、もう一度良くお読みください」とコピーペーストなしで送るところだったが、昔そういうことをして怒られたのを思い出してやめた(おそらくこんなこと書いてるのも怒られるんだろうけどしらん)

  • フォローがめっちゃ増える
    同じゲームやってるひととこいつは面白いなみたいなひとしかフォローしない僕には、ツイッターで回ってきたアンケートをきっかけにフォローするという概念がいささか理解しかねるが、僕のツイートがおもろいとおもってもらえたんならどんどん調子に乗ってうちの子妄想とFF14とIIDXの愚痴をかきま〜す
    仮に絵がみたいならpixivサイトタンブラーにいってくれ

  • 特定のツイートに対するリプライの受けつけ停止機能をもうけたい
    特定の人間からの粘着はなんとかなるけど、不特定多数のひとからいっぱいリプが来るのはもうツイート削除するしかないじゃないですか、でも結果が見たい人もいると思うんで消せないじゃないですか、そうなると早く世間から忘れられてほしい(協力してもらってなんだけど)

  • 興味本位でやっていいことと悪いことがある

  • みんな、絵好きだな!
    絶対俺より好きだと思う!!!!俺一年の中でゲームより絵描きたい日多分1/10もないもん。

 

以上で〜す

ごめん、言いたいことがあったしまとめ

ごめん、どうしても言いたいことがあった。でも攻撃したいわけじゃないんだ。その記事とはこの記事なんだ。

モンハンとパズドラに言いたいこと - UXエンジニアになりたい人のブログ

内容が結構長いしここで簡単に要約するのも良くない気がするので、読んでない人は読んでほしい。

確かにいろいろな観点から思うことはあって、特にパズドラなんかには共感するところもある。僕もつみパズドラとか、パズドラの「なに切る?」的なものはちょっとほしい(外部アプリでみたことはあるけど)

でもこれだけは言っておきたかったんだ!

モンハンもパズドラも別に初心者向けのゲームはない ってこと

流行ってるからといって誰でもできるゲームではない ってこと

そして一番は、ゲームの流行の舞台は学校(実際にゲームをやる人たちが目の前にそこそこいるという状況)なので、もはやそういったことで新しいコミュニティーを作りにくい大人には少々厳しい世界でもあります。

正直いって筆者の「流行ってるから、その辺のパンピーの女の子がやってるゲームだから、とっつきやすいし簡単なんでしょ」っていう前提がもうすでに齟齬が起きている。これが大問題なんですよね。CM打ってるからそうっていうわけでもないんですよ。マニア(オタク)向けっていうわけでもないけど、簡単なゲームではないんですよ。
(というか、そもそも今からモンハンに着目する人には女の子でもやるゲームだと認識していること自体が僕としてはかなりの驚きなんですが)

モンハンとパズドラが別に大衆向けの誰でもできるゲームではない理由

奇しくも、モンハンとパズドラはゲームの流れやコンセプトが同じで。

まずは。最初は不自由で、ゲームを進めるということは「その不自由さをどんどんなくしていく」ということにつながる、という点です。
モンハンはそれが「装備(スキル)」であり、パズドラは「モンスター」です。
なので、モンハンやパズドラというゲームは序盤が一番難しい。
モンハンだと、装備についている「スキル」がハンティングを手助けします。それはモンスターの位置がペイントなしでわかるものから、攻撃が避けやすくなるもの。攻撃力が上がるものなど様々で、これを組み合わせて、より自分の理想の環境を構築していきます。これに必要なのがモンスターの素材であり、つまり、そのモンスターの素材を集められるまでクエストを進めたり、そこそこ自分の腕を高める必要があります。
パズドラもモンスターにスキルがあり、基本的にそれを駆使して戦います。
その組み合わせがあることで、ただひたすら避けて攻撃するだけのゲームから、いろんなゲームへと分岐していくわけです。
なので、最初の武器訓練のドスジャギィが一番の強敵だ、というのは、非常に共感ができます。最初はまっさらなのです。なにもない。一番自分の実力が響くときなのです。とっかかりが一番しんどいゲームなんです。実際モンハンの初作はあまり売れず、僕が記憶するに爆発的にブームになったのは2ndG以降でした。

二点目は、「ゲーム内のスキルとは別に、己の腕が大いに関わってくるゲーム」であることです。これはマリオもそうでしょ、って感じだと思うんですけどそうじゃなくて。
モンハンもパズドラも基本的には難易度とか、ステージとかいう概念はほぼないです。マリオでいうところの1-1は本当はない。パズドラも後半になればコンボが組みにくくなるとかじゃないし、モンハンもパズドラも単純に相手の攻撃がどんどん即死級になっていくだけです(だけっていうのもおかしいんだけど)
厳密にいうと、この2つのゲームに攻略法というものはあってないようなもんです。これはRPGとかとは違う点で。「頭を狙ってスタンとると楽ですよー」とか、「毒いれたら龍風圧おきませんよー」とかあるけど、頭狙えなきゃ意味ないし毒入れれなきゃ意味ないんですよ。
パズドラに関しても、僕も攻略サイトとかみながら降臨クリアしようとするんですけど、大抵操作ミスで死にます。
なので結局のところ、暴力的な言い方をすれば、「最初のドスジャギィで挫折する奴に道なし」なんです。死んだり、もーなんなんだよー!避けただろー!っていいながらやるしかないんです。ほんと。

というかパズドラに至っては、強いキャラクター集めて火力で殴ればイベント走れるお〜貢ぎ最高〜っていうゲームでは”””一応”””ないっていうところがブームメントの底にある部分なので、世の中にあふれるソーシャルゲームとは本当に真逆の位置にいるゲームだと思います。

なんでモンハンとパズドラが流行ってるのか

じゃあなんで、モンハンやパズドラという、大衆(ゲームのアクティブユーザーではない人々)向けでもない、とっかかりの難しい、難易度高めのゲームがこんなに流行っているようにみえるのか。

コミュニティーのおかげです。

流行ってるからコミュニティーが生まれるのか、コミュニティーが生まれるからはやるのか、そこは卵と鶏って感じですが。

パズドラもモンハンも、やろうかなと思うとき。おそらく、「みんながやってるから」という部分が大きいと思います。これが「流行っているから」とも言い換えられてしまいます。
ここでいう「みんな」とはかなり具体的です。学生でいえばクラスメイト。実際に休み時間に自分の隣で机を囲んでPTに勤しむ学生や、電車のなかでパズドラのパーティー構成について熱く盛り上がる子たちもいるでしょう。僕たち大人でも、近い友人がみんなやってたら、きになると思います。
そういうときになんなんだろう、って気になる。混ざりたい!って思う。これがブームメントが起きる理由です。

モンハンもパズドラも、みんなでやって楽しいゲームです。しかも、他のパーティーゲームと違って、下手な奴をカモれません。協力プレーのゲームなので、下手な人は足をひっぱるだけです。まあ、それが理由でPTにいけないとか、コミュニティーからはじきだされるとかも、あるとは思うんですけど。
しかし結局のところ仲間は増えて損がないわけです。それは、はじめる方にとっても、もうはじめている方にとっても。しかも、増えた仲間がうまくなる方が絶対いいのです。なのでコミュニティーのみんなは「布教」したがりますし、先輩となって、一番詰まりやすい初手をスムーズに行くように導こうとします。
2ndGの頃、僕の周りには一緒にやってくれる友達がいなかったのと仕様と使ってた武器(その頃からヘビボしか使ってない)の関係でゲリョスで挫折しましたが、今はオンラインでプレーできますしね。ネットの向こう側の人にご教授賜ることもできちゃうわけです。
これがモンハンの最大の魅力であり、ここまで売上がのびた要因でもあると思います。
パズドラも、枠に制限はあるものの、フレンドになって得はあっても損はない。なので、俺のつよいキャラ貸してあげるから、がんばりな!ができるんです。

そうやって、人伝いに人伝いに盛り上がっていったゲームが、モンハンとパズドラです。

流行っている理由は簡単とか、とっつきやすいとかではなく、「みんなが楽しくやれる場を作るのがうまいゲームだから」というのが僕の主張です。
ゲームがどんな難易度でもやるような人間じゃなければ、このゲームは本当他人ありきのゲームだと思います。昔から。

大人がゲームをはじめる時

ですので、コミュニティーから断絶されている状態ではじめるパズドラやモンハンはめちゃくちゃ難易度が高いというか、もともとの純粋な難易度が襲いかかってくることになります。流行っていた理由がぶっとぶわけですな。

もちろんインターネットを泳げばいくらでもアドバイスは載ってると思うんですけど、それを「わざわざ外部サイトでみないといけないのか!」っていうと終わりだし。
ていうかあんなに丁寧なチュートリアルみても乗れないものは乗れないし。
とっかかりが重要だって話はすごくわかるし、パズドラは工夫のしようがあるかもしれないんですが
「とりあえず、操作してみて!操作してコツつかんでもらうしかないから!」っていうところからスタートしてて、その操作が、わからんっていうとき、ゲームだけでどこまでそれをサポートできるのか、もうそれは未知数すぎる世界だと思います。
一応場は用意はされてるな、と思うんですよ。パズドラも最初が順当にクリアしていくとガンガンレベルがあがって一定のところまでスタミナ無制限みたいな感じで遊べるのはよくできてると思います。
でもそれも大前提でつまづいてしまったらどうしようもない。

じゃあなんのゲームをやりゃいいんだよ!ゲーム慣れしてなきゃゲームができないのかよ!っていう人にオススメのゲームがあります。
任天堂のゲームです。
こちらからは以上です。

ギタドラのスキルシステムについて

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ときめき!GITADORA GuitarFreaksを見て、ギタドラはじめちゃった〜。Akhutaさんの曲もかっこいいし、あさきの新曲もあるし、ハマっちゃうかも…

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GITADORAをはじめたの?よかったらスキルシステムについて教えちゃうよ!

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スキルシステム…?そういえば、Twitterのフォロワーさんが、よくスキルがどうのって云ってるかも。でもどういうことなのかよくわかんないんだよね…。

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スキルシステムはいわばGITADORAの。知らなきゃ損だよ!誰も説明したがらない点から察しがつくだろうけどちょっと難しいかも。でも頑張って噛み砕いて説明するからね!

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